高野街道京大阪道の女人堂までくれば、そこは聖域高野山

各入口に女性のための籠り堂として作られた女人堂

高野山は女人禁制でした。1906年まで。
その理由というのは仏教の戒律に基づき、性欲や煩悩を制御し僧侶が修行に集中する環境を維持するためでした。また、血の穢れ(月経や出産)を不浄とする当時の宗教的な観念や、山岳信仰のタブーも背景にありますが、空海が母を山麓の慈尊院に招いた故事も有名です。

慈尊院にいる母に会いに月に九度、山を下りたことから九度山町という地名がついたのも空海様がきっかけです。
女性たちが祈りを捧げたのお堂、これが女人道で現在は1つだけ残ってます、ここから御廟や奥の院などをぐるんと回って歩くのが女人道になります。