高野参詣道黒河道の入り口お堂

山麓の宿場町橋本からの近道で地元の人々が産物を納めるのに使われた

定福寺を超えて少し進んだところ、黒河道の入り口イメージに出てくる場所です。
杖を使っていいですよと、何本も杖を置いてもらっています。紀の川南岸の橋本市賢堂(かしこど)からスタートでここから奥の院まで頑張ります。

ちなみに、ここ橋本市のとなりには九度山町があって、九度山町には六文銭の真田幸村ゆかりの地として有名ですけど、実は真田家は幸村が関ヶ原の戦いで西軍の石田三成についてしまって、東軍についた真田信之のはからいで死罪は免れたものの、高野山流しとなって九度山で生活を強制させられました、という話があります。戦国時代はこのように兄弟で敵対することも多く、お家潰しをなんとか免れるための知恵だったようです。ちなみに織田信長の孫、織田秀信も関ケ原の戦いで西軍についてしまい、高野山に出家して世を捨て26歳で亡くなりますがその跡が橋本市にあります。

そんな感じでいろいろと高野山は歴史にも出てきます。