塩屋王子跡は、「紀伊路」に設けられた熊野九十九王子の一つで、御坊市塩屋町北塩屋の王子川河口部右岸の丘陵上に位置し、現在は塩屋王子神社としてその名残をとどめています。

御所の芝
石柱が建てられ石垣で囲まれた区画は、**「御所の芝」**とよばれ、上皇や法皇が熊野へ参詣した際の行在所(仮の宮宅)と伝えられています。場所は何度か過去に移動しているようです。
芝とは、石段下の「塩屋王子再前碑」には、「芝とは結構草萌えなり」とあり、江戸時代には芝生の庭を意味したと考えられます。
『紀伊国名所図会』には御所の芝は、「後鳥羽院の行在所の跡」という、大塔宮熊野に潜行し給ひし時も、此所にて一宿し給ひしぞ、といへり」と記されています。
大塔宮とは、元弘の変後、幕府の追求から逃れるため各地を通り、熊野へ逃げた時に御所の芝で泊まったと記されています。
令和四年三月
塩屋王子神社
塩屋王子は別名「美人王子(びじんおうじ)」とも呼ばれています。
その理由は、この神社に祈願すれば美人の子が授かると言われており、神社近くのお店には絵馬が売られています。


国史跡 熊野参詣道 紀伊路 塩屋王子跡
(くまのさんけいみち きいじ しおやおうじあと)所有者 塩屋王子神社
管理団体 御坊市
指定 平成十二年十一月十三日熊野参詣道紀伊路は、霊場熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)への参詣のために利用された道です。
熊野三山への参詣は、平安時代中頃から始まり、室町時代には蟻の熊野詣と形容されるほど盛んに行われました。
江戸時代には、大坂といわれる紀伊路の中で、御坊市内は比較的なだらかな地形です。しかし、洪水や砂州の堆積などの影響を受けて日高川の流路や海岸線は変わっています。そのため、参詣ルートも変遷しました。
塩屋王子が記録上もっとも古いもので確認できるのは、天仁二年(1109)に熊野を参詣した藤原宗忠の日記『中右記』で、「塩屋王子社に至って祓い」と記されています。
現在は塩屋王子神社として、大己貴命(おおなむちのみこと・大黒さま)と少彦名命(すくなひこなのみこと・恵比須さま)が主祭神として祀られ、社殿は二つ巴、祭礼の御神輿には四神が描かれています。また、江戸時代頃から「濱王子」という別名があります。
一の鳥居をくぐると石段の右には、天保六年(1835)銘のある儒学者仁井田好古の撰文による「塩屋王子再興碑」、左には、延享三年(1746)銘の石碑があります。
さらに、石段を登ると後鳥羽上皇の行在所跡の碑があります。後鳥羽上皇の熊野御幸に際し、仮の宮(休息所)の御所の芝と呼ばれたところであることがわかり、奥の一段高いところに社殿があります。
境内には、馬駒跡やナギ、イヌマキ、ヤマモモなどの老樹があります。