


南北朝時代、大塔宮と同じく南朝で戦った英雄が楠木正成公でして。
楠公さん大河ドラマにしようぜというのは、四条畷神社でも見かけたことがありまして、ぜひとも思ってます。(四條畷神社は楠木正成公の嫡男、正行公をまつっています)
今でも覚えていますが中学校の時の歴史先生が、楠木正成は千早城からくそを乾かして火をつけて城から敵に投げつけた異名から、そこから「やけくそ」が生まれたという逸話です。
結局変な話ばっかり覚えているのが教育でもあって、それがまた楽しかったりするものなのですが、皇居外苑にある正成公と同じようなかっこいい銅像が千早赤阪村役場にも立ってまして、地元の英雄なんです。
楠公像(なんこうぞう)について
現在の千早赤阪村の地で生まれたとされる楠木正成公は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武士です。
元弘(げんこう)元年(1331)、鎌倉幕府の倒幕を掲げた後醍醐(ごだいご)天皇のもとで、楠木正成公ら各地の武将が幕府との戦いにのぞみました。
地元では「楠公(なんこう)さん」の愛称で知られている楠木正成公は、文武ともに高い素養をもっていたといわれ、後醍醐天皇の建武政権下で活躍しました。
延元(えんげん)元年(1336)、楠木正成公は湊川(みなとがわ)の合戦(兵庫県)で足利尊氏(あしかがたかうじ)に敗れ、その生涯を終えましたが、後に成立した軍記物語である『太平記(たいへいき)』では英雄として描かれています。
千早赤阪村内には、戦の際に築いたとされる山城の跡が多数存在し、そのうち赤阪城(下赤阪城)、楠木城(上赤阪城)、千早城は国指定史跡になっています。
この楠公像は、旧村立千早小学校(現在は廃校)の卒業生により、昭和15年(1940)に寄贈されたものです。
銘板には、「ここ校庭に楠公像を建て、児童の尽忠報国(忠義を尽くし国家に報いる)の精神をじっくり育てるのを助ける」という内容が刻まれています。
より多くの方々にこの楠公像をご覧いただけるよう、旧村立千早小学校区の皆様の御理解を得て、令和6年(2024)2月にここ、千早赤阪村役場庁舎前に移設いたしました。
至誠一貫南朝の忠臣、楠木正成公とそして四條畷で散った正行公、高槻にある島本駅出てすぐの桜井の別れであったりとか吉野の如意輪寺での辞世の句だったりなど、楠木正成公と楠木正行公の英雄は今でもしっかりと残っております。
もちろん大塔宮を守り身代わりとなった忠臣・村上義光もそうですが、ここ関西にはたくさんあって魅力だらけだったりしますのでぜひ。
※ 大塔つながりで書いています。