「女人高野」として有名な慈尊院、かつ、高野山詣での入り口としても名高い、歴史ある寺院です。
由来は本尊である弥勒菩薩は、別名「慈尊」だからです。高野山の政所として創建され、高野山町石道の登り口にあります。ここから奥の院まで180町石が始まっていきます。
慈尊院前は石畳で雰囲気が変わります。
高野山町石道 祈りの道出発点です
高野山案内犬 ゴンちゃん
母なくして子なく子なくして母なし
弘仁7年 (816)に弘法大師 (お大師さま) が高野山をお開きになった際庶務を司る政所として 玄関口であるこの地に慈尊院が建てられました。
そんな息子の姿を一目見たいと母公(玉依御前/82才) が香川県より参られたのですが山上より女人禁制とされていたため高野山に上がることができませんでした。
母の身を心配されたお大師さまは、この寺に留まらせ高野山より月に九度、訪ねられたことから九度山という町の名になったと伝えられています。
承和2年(835) 2月5日に母公は83才でこの世を去りました。 お大師さまは母公のためにお墓 (弥勒堂)を建て弥勒菩薩を安置しました。時代とともに弥勒菩薩が母公の化身であると崇められ 高野山に上がれない女性の信仰を深め本堂前には女性の象徴である乳房をつくり絵馬にして奉納すると願い事が叶うといわれています。
「九度山」駅から徒歩約20分くらい、何も知らずにふわっと来て町石道を歩こうとすると痛い目に遭いますので、しっかりと時間配分と気持ちの整理はしておきましょう。