日本古典研究家の本居宣長さんは、父が吉野水分神社に祈願して生まれた子供、と記載しているので江戸時代などはそのような子守社だったようです。
ちなみに豊臣秀吉が子授け祈願をし、その子秀頼を授かったことも有名です。あと枝垂れ桜も。
この吉野あたりは、ヤマザクラ、クマノサクラが多く、ソメイヨシノはまた別。奈良なら時代はお花見といえばウメ、道真さんもウメ、その時代には桜があまりなかったのと短歌にも「さくら」出てきません。
吉野山 花は見ぬとも 水分の 神のみまへを おうむがむよさ
水分の 神のちかひの なかりせば、これのあが身は 生れこめやも ともに本居宣長の歌です。
本居宣長はお父さんが吉野水分神社におまいりしたあと生まれたので、和歌に残されています。