熊野古道 発心門王子の次は水呑王子、そして伏拝王子と続く

田辺市本宮町三越字大横手1416-1

貴族 藤原宗忠 (1062~1141) の天仁二年(1109)の参詣日記には「内水飲王子」、「新王子」 とある。
この「内水」とは、二日前に宿泊した 「水飲仮屋」に対して、発心門の内すなわち本宮寄りにあることを意味している。 また、「新王子」 とは文字通り新たに設けられた王子の意味であるが、これはほとんどの王子社が以前から祀られていたことを証している。
「水春王子」 と刻んだ石碑は、他の王子跡のものと同じく享保八年(1723) に紀州藩が熊野御幸の史蹟顕彰のために建てたもので、紀北産の緑泥片岩製である。

明治9年から三里小学校三越分校でしたが、昭和48年に廃校となってそのあと観光施設として使用されたが、現在は廃業となって何も使われていない。
この小学校分校の敷地の一隅に緑泥片岩の碑があり水呑王子です。
発心門王子からここまでは集落内などの舗装路を歩きますが、ここから美しい山道に入りまして、山道を下って再び舗装路に出ると、伏拝の集落となります。