龍神宮(りゅうじんぐう)にもある「弘法大師様の腰かけ岩」

龍神宮(りゅうじんぐう)にもある「弘法大師様の腰かけ岩」

龍神宮(りゅうじんぐう) 紀州牟婁郡上秋津 龍仙山鎮座

・場所: 和歌山県田辺市上秋津六〇二番地
・創建: 人皇四十二代天武天皇十三年(西暦六八四年)
■ 御祭神(おまつりしている神様)
・上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)
・中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
・底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)

■ 摂末社
・秋葉山
・恵比須社
・伊勢神宮遥拝所
・馬目樫白龍大明神
・八幡社(本社から北西に徒歩)
■ 例祭
・二月十一日 (旧祭日:旧暦一月十五日)

■ 由緒(歴史と伝説)
当社は紀伊半島南部、吉野熊野国立公園内の龍仙山(りゅうぜんさん)、通称「龍山(たつやま)」とも呼ばれる標高496メートルの山上に鎮座し、**龍神(海の神様)**をお祀りしています。
創建は今から千三百年余り前といわれます。熊野権現の縁起によると、田辺湾に顕現した神龍が雲に乗り、龍仙山に登り来て鎮まられたという。田辺湾には神島(かしま)、神楽島、旗島(畠島)、神子浜、秋津には雲のと、ゆかりの地名が今に残る。それから約五五〇年後、高野山を開いた弘法大師が熊野参詣のため田辺に来られ、高山寺を建立するに当たり、まず鬼門の方角に当たる龍仙山に上り、護摩を焚き、石の塔を建てて仏仏(ほとけ)を祀り、京都から愛宕社を迎えて末社としたという。「崎の堂(崎の塔)」と呼ばれる大岩には、その跡とされる四角の跡が残り、その一段下に「ハンド地蔵」が祀られている。また、弘法大師が登山の際に腰掛けられたという岩も参道にある。

さらに数百年を経た戦国時代には、湯川氏の家臣 栗山三郎勝重が古屋谷の領主となり、当社の祭祀を引き受けたという。当時は馬の背で物を運んだため、今も神社裏に「馬洗い場」などの名前が残る。また、山上には城が築かれ、秀吉の紀州征伐の折に、抵抗した湯川氏ら国衆がここで軍議を開いたと伝わる。
江戸時代以降、当社の祭典は近隣の村々により行われたが、幾多の変遷を経て明治四十三年以降は上秋津の一村で執り行われることとなり、今に至る。
当社は海上安全と大漁を祈願する漁民の信仰も厚く、例祭には遠近から多くの参拝者があり、山上は俄(にわ)かに賑やかになる。とりわけ旧夏祭りの夜(中秋の名月)、山上からの展望は最高のものであったという。また、社前にはウバメガシの大樹があり、「馬目樫白龍大明神」として祀られている。