96代後醍醐天皇陵 北面の陵 塔尾陵(とうのおのみささぎ)と孫の世泰親王

身はたとえ 南山の苔に 埋るとも 魂魄は常に 北闕の天を 望まんと思ふ

京へ戻ることを願いながら「北闕の天を望まん」と言って亡くなったようで今でも京都の方角を見ているとのことで、だから「北面の陵」というようです。
天皇陵なので宮内庁管轄になりますが、吉野如意輪寺の裏山にあります。如意輪寺には小楠公が辞世の句として書いた、
「かへらじと かねて思へば 梓弓(あづさゆみ) なき数に入る 名をぞとどむる」 の扉が宝物殿にかざられています。

不撓不屈の思い
『身はたとえ 南山の苔に 埋るとも 魂魄は常に 北闕の天を 望まんと思ふ』

週刊少年ジャンプで北条時行主役の、逃げ上手の若君という漫画をやっているのですが、ここに出てくる後醍醐天皇は神格化されて、不思議な存在になっていますけれども、実際に不撓不屈すぎる精神だと感じます。

何よりあの時代に隠岐に流されて、そこから自力で帰ってくるというのがすごいですし、ここ吉野の地で朝廷を開くというのもまたすごいし、吉水神社にいたり南朝を作り戦うのもまた不撓不屈です。

後醍醐天皇は51歳で崩御されますが、その時代を考えてもまたその生き方も尊敬でしかありません。南朝の後醍醐天皇、護良親王、楠木正成公、楠木正行公、阿倍野神社の北畠顕家公、などを祀った神社が多くありますが、忠義、武勇、奉公などが描かれています。田辺市大塔も大塔宮(だいとうのみや)護良親王から来てますが、同じ読み方は恐縮しておおとうになったとか。若干27歳で亡くなってもその生き方は今の時代にも共鳴するからこそ、おまいりに来る人がなくならないんだと思います。