後醍醐天皇南朝皇居、世界遺産吉水神社

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとなっている、後醍醐天皇南朝皇居、吉水神社です。
逃げ若にも後醍醐天皇が出てきますが、とにかく不思議な魅力がたくさんあったようですし、後醍醐天皇亡き後南朝は賀名生(あのう)の五條市まで退き、後村上天皇を立てて対立するのですが。

後醍醐天皇の賀名生滞在の理由の一つに、真言密教に大きく帰依(きえ)していた天皇が、総本山である高野山金剛峯寺への行幸(ぎょうこう)を強く願い、それがかなわない場合に吉野山金峯山寺へと向かう計画のため、高野山と吉野山のほぼ中間地点に位置する賀名生で様子をうかがっていたことが挙げられます。

後醍醐天皇の跡を継いだ後村上天皇は、1348年(正平3・貞和4)、南朝の本拠地の吉野山が焼き討ちにあうと、賀名生に行宮(あんぐう)を定めました。それから間もない1351年(正平6・観応2)、北朝の天皇を擁立した足利尊氏が、一時的に南朝に降伏し北朝の天皇は廃されます。こうして、わずか数か月のことですが、南朝が唯一の朝廷となり、賀名生は都になりました(このできごとを「正平の一統」と呼びます)。

高野山と金峰山寺の中間、五條ということでなかなかに身近な場所でいろいろあったものです。
闘鶏神社からは車で2時間30分くらい、311号線で本宮大社さんまで行って、168号線を北上するルートで到着です。