新義真言宗総本山 根來寺におまいり

新義真言宗の総本山 興教大師の御廟を守り続けています

覚鑁(かくばん)上人が作った岩出の根来寺ですが、歴史に出てくるのは戦国時代の織田信長や豊臣秀吉の時代だと思います。
根来衆、雑賀衆などが信長秀吉と闘い抵抗したとか、種子島からやってきた鉄砲を分解して国産火縄銃は紀州根来寺の門前町で作ったとか、そんな山川日本歴史本にあったような記憶です。
後は石山本願寺の抵抗と一緒に根来衆、雑賀衆も戦ったような、そんな感じくらいです。

高野山僧の間で権勢を奮っていた覚鑁(かくはん)上人は、羨望の的となり教義対立から高野山を追われ、根来に逃れてきたのですが、その覚鑁の志を受け継ぐ弟子達により、約100年後に再興されました。

かくばん上人さんが作ったのですが、お弘法さんの高野山真言宗が元々なので新義真言宗総本山になっています。

ちなみにその後、根来衆は豊臣秀吉にバチバチにやっつけられてしまいまして、高野山も焼きうつぞくらいに攻撃されたそうです。というところはちょっと知りませんでした。根来寺はその影響もあって大変だったようですが、今はこのように真言宗の1つとして教義を守っています。

高野山僧の間で権勢を奮っていた覚鑁(かくはん)上人は、羨望の的となり教義対立から高野山を追われ、根来に逃れてきたのですが、その覚鑁の志を受け継ぐ弟子達により、約100年後に再興されました。

かくはん上人さんが作ったのですが、お弘法さんの高野山真言宗が元々なので新義真言宗総本山になっています。