熊野古道を北郡越から進んできまして、清姫の墓を超えて進むとそこは真砂地域になります。
田辺の市長が真砂さんなので、一緒の真砂です。ここには(伝)真砂一族住居跡、(伝)清姫生誕屋敷跡という看板がありまして、山の急な坂道の方へ行きます。
とりあえずすでに屋敷はありませんでしたが、敷地は広かったのと、屋敷があったんだろうと思われる石の石垣が残ってましたので、さぞ大きなお家だったのだと思われます。
ほかのブログや記事見てると、
「1585年頃に始まる豊臣秀吉の紀州攻略により、本家の真砂一族の第31代目・友家(ともいえ)並びに、本陣に仕えていた家臣ら71名の討死により本家は滅亡したとの記録があるそうです。」
とあったのですが、市長は真砂さんなのと学生の時にも真砂さんおられたので、まあ分家やらなどはおられるのでしょう。