大塔宮護良親王は後醍醐天皇の皇子です、鎌倉宮は大塔宮を祀ってます。
鎌倉幕府倒幕に尽力し、倒幕運動の最中には熊野に潜伏した時期もあり、鮎川の地にも立ち寄ったと伝えられます。幕府倒幕後、建武の新政で護良親王は征夷大将軍となりますが、足利尊氏と対立して失脚し、鎌倉に幽閉され、殺害されてしまいます。
ここは、明治22年の洪水で旧社地の一部が流失しており、その後、道路の開通に伴い削り取られて、古の面影を残す部分がなくなりました。1874年に対岸の住吉神社に合祀されています。
大塔宮護良親王、武にも知にも優れたお方だったそうです。
口熊野マラソン、この鮎川大橋が折り返し地点ですが、ここまで来るとみんなもうバテバテ状態。