全国各地には平家の隠れ里の伝承がいくつもありますが、田久日にもその伝承が残っています。昭和30年代まで陸伝いに田久日集落へ行くには、獣道のような細い道しかありませんでした。集落の海岸沿いには「舟隠し」と呼ばれる場所があり、陸から船が見えない地形で船を係留することが可能でした。このような地形の特性があったからこそ、かつて平家が身を隠していたのかもしれません。
田久日地区中央部にある観音堂の傍らに石の塔があり、中には平盛嗣(たいらのもりつぐ)こと「越中次郎兵衛盛継」と藤原 景清(ふじわらのかげきよ)こと「悪七兵衛景清」の名がかかれた供養塔があります。いずれも源平合戦で活躍し、壇ノ浦の戦いで敗れて落人になったと伝説が残る人物です。
快水浴場百選、竹野浜から車で15分くらいのところですが、グーグルマップあれば発見できるものの確かに平家の隠れ里で全然わかりません。弁天さんなので水の神様、大漁の神様、です。
源平で言えば熊野別当湛増が、鶏を戦わせて源氏についたことから闘鶏神社という名前になった、と言いますので熊野水軍は源氏であって平家の隠れ家は敵なのですが短絡的に思考せず、おまいりしてきました。
快水浴場百選、竹野浜は泳ぐもよし、カヌーもよし、魚遊びもよし。