田辺祭の笠鉾は町々によって違っていて、片町が「関羽(かんう)」(宵宮)と「神宮皇后(じんぐうこうごう)」(本祭)になっています。なんで関羽なの?とか神宮皇后なの?はわからないのですが、関羽と言えば仁義に熱く最後まで劉備に仕えた三国志の武将なのですが、そういうところは当然選ばれる理由になったのだと思います。基本的に光栄の三国志では忠誠心100なので絶対に裏切りませんし、逆に裏切ってばっかりだった呂布なんかが笠鉾に乗ってたらかっこ悪いです。昔も今も義理人情は絶対に大事であって、価値観の違いと言えば違いですが、裏切り人生呂布を推す人もいるでしょうけど、節操のなさや連続性の欠如、軽薄感もあるのですけど、合理的で物事をシンプルに追及できるような面も別に否定しませんが、これも諸刃の剣だと思ったりもします。ただ、笠鉾に乗る作り物で関羽はOKでも呂布はあかんです、という話で。組織でも呂布は要らないです。
あと、田辺祭は初穂料うちわ奉納やいろいろメディアらしく現地に行き撮影したりしていますが、これはサッカー支援であったり、病院支援であったり、子供たちへの育英会寄付と同じです。
「企業が社会貢献事業を行う理由は何か。それは企業を取り巻く地域や顧客、取引先から収益事業を取り組んでもいい、という許しを得るために存在する」ことにあります。何かで聞いたのですが我が意を得たり、と思った次第です。
もう少し具体化すれば、この会社に入社してもらうにあたり、なんの後ろめたいことはないから安心、という理由も導くことができます。
金をもらう、金を払う、商売人には当然大事なことですが、そうは言っても金を払う側や市場を荒らされる側からすれば「あの野郎どもが」と恨みつらみに嫉妬妬みを抱くのも当然だから、なのです。
そんなわけで「自分のサッカー好きなので、サッカー支援している御社の姿勢に共感ありました」など言われると、「なんで支援してるか知ってる?」と聞きたくなるわけです。
今年も田辺祭は炎天下37度で日差しあれば40度、アスファルト上でさらに気温上がる中、祭に取り組むみなさんと闘鶏神社の神職のみなさん、練習したであろう子供たちや親御さんなどに感謝をもって、うちわ奉納しております。あと田辺市でも地元が第一小学校を中心にした校区内がお祭り中心なので、ガルテンある上秋津や東部小区域の新万は違うからこそ、別の形で微力でもと思うわけです。
子どもたちへの貢献も当然その1つ。