金剛山登拝途中の楠木正成公が戦った千早城跡

楠木軍800人と幕府軍10万以上が戦った戦地

千早城跡です、今ここに来てもここに城を作って立て籠もられるとさすがに落としにくそうに思う場所です。
このような山城になるとまずは道がない、そうすると既存の道で攻めるのですがそうすると仕掛けがいっぱいで弓矢で討たれるので、別の道を作ろうとするのですが作ったら夜討ちなどで道が崩されてしまう、後高い場所にあるので攻めるにも登らないといけなくて疲れもでる、何より勝って当たり前の戦い程難しいものがなくて、攻めても攻めても降伏してこないとどっと疲れるものなので、城から木を投げたり糞尿を投げつけたりとゲリラ戦でやっていた楠木軍からすると、10万の軍勢をここで引き留めておけば討幕の別の者が立ち上がるので勝てなくてもいい戦いほど楽なものはない、ようなものだったようです。

もちろん楠公の天才的戦の手腕だったから勝てたのですが。
車でここまで来ましたけど、確かにここに城があると籠城すれば勝ちにくいでしょうし、三国志のように兵糧攻めや水攻めなどして1年も経てば開城でしょうけどそんな戦いでもない場合には、結局正成公の戦いもあって鎌倉幕府は滅亡に進んでいきます。

ちなみに河内長野駅近くには菊水町、という楠公の家紋である菊水からもらったであろう地名がありまして、みんな楠公大好き。