八立稲神社はいろいろ歴史があって合併してこの神社名になっていますが、出立王子は裏鳥居のすぐ近くで外にあります。
神社と王子で独立した鳥居なんですが、境内では出立王子と八立稲神社は合流してつながっています。
天正十八年(1590) 大和大納言秀長の臣、杉若越後守が上の山城主となりてより、崇敬厚く武運長久を祝ったという。
八王子の宮と称え、江戸時代の文書には東八王子社の社名がみえる事から八方を司り、
病気や災厄を祓い清める八王子権現の信仰があったと考えられる。後に上の山東神社と改称し明治四〇年(1907) に一村一社の神社合祀により尾崎の稲荷神社、出立神社 (出立王子)、目良の八幡神社を合祀し、「八王子八幡」の八、「出立」の立、「稲荷」の稲を組み合わせ 八立稲神社と号し、明治四二年に西郷上の山の山西神社 (西八王子)を
昭和二六年八幡神社 上の山西神社は元の宮里へ幡宮鎮座した。主催神国常立尊は国土の神と称えられ、田辺の地が長く平穏に治まり、病気災厄を祓い幸福をもたらす神と信仰されてきた。
うえのやま幼稚園のすぐそこ、グーグルマップではちょっとわかりずらいのですが、急な階段を上るとありますし、第三小学校のほうからだと車で来れます。